9.「自己責任論」の正体

こんにちは。

人から言われ、柿が実っていることを知りました。

季節はいつの間にやら秋です。

 

 

 

今回は「自己責任論」について考えてみます。

 

「自己責任」という言葉が気になります。

 

ネットや会話などでしばしば聞くことがある「自己責任」という言葉、気になりませんか?

私には耳障りな言葉の一つです。

 

「この商品は為替や社会情勢によって、価格が変動します。元本を割る場合があります。売買にあたっては、自己責任でご判断願います」というような内容が書かれた契約文。
この但し書きの「自己責任」は理解できます。
自分自身の判断において、リスクをとって契約したことについては、その結果についても責任を持つのは、投資/経済活動においては基本的なことですから。

しかし、経済活動以外の場で「自己責任」なる言葉を見るのは嫌なものです。

 

 

「自己責任」の嫌な用法とは。

 

皆さんは、次のような愚痴や叱責を聞かれたことはありませんか?

あるいは、ネットで読まれたことはありませんか?

 

・「自分が人一倍努力しないで、公共の支援に頼る姿勢には疑問を感じる」

・「職場の阿吽のルールに合わせないから浮くんだ。周囲の空気を読むセンスが欲しい」

・「正論を言う人がいる。しかし、理屈を言う前に皆に迷惑をかけないように気を遣ってほしい」

・「起業が上手くいかなかったのは自分の責任だ。周囲が起業家を支援する必要はない」

・「仕事をすることで生じるあらゆることは、自分の責任である。上司や職場の環境に理由を求める姿勢は責任転嫁だ」

・「正社員になれずに不満を言うのはお門違いである。失業率が低いこの時代、どんな仕事でもすると腹をくくれば、正社員になれる」

・「就職先が残業が異様に多いとかパワハラが多い企業はブラックはブラックだ。けれどもその環境を受け止めて前向きにやっていくのも個人の成長だ」

・「【この場所におけるあらゆる事故には責任を負いかねます】という注意に従わなかったのだから、事故に遭った人が悪い」

 

言わんところはわからないではないものの、違和感を感じます。

皆さんはどんな印象を持ちましたか?

 

「自己責任」と「自己責任論」の辞書における意味。

 

「自己責任」なる言葉の意味を「ネット辞書」で調べますと、

・自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
・自己の過失についてのみ責任を負うこと。
と書かれていました。

一方、「紙媒体の辞書」には、「自己責任」という言葉は見つかりません。

「自己責任」という言葉は用法が確定されていないからだと思います。

それにもかかわらず、「自己責任」という言葉を多く聞いたり見かけたりするのは一体どういうことでしょう?


「自己責任」という言葉の印象

 

私が感ずる「自己責任」という言葉の印象を記します。

 

 

1.
人を突き放すような冷たい言葉。

2.
自分がまずいことに関りたくないので、当事者だけに責任を押し付ける言葉。

3.
自分が努力していることや得意なことを、不得意な人にも強制しようとする言葉。
そして、それが出来ていない人を責めるときの言葉。

4.
「困ったときはお互い様」という度量が自分にないことの言い訳に使う言葉。

5.
「規制緩和」・「新自由主義」・「郵政民営化」が論じられていた1990年代後半から、それら言葉とセットで多用されるようになった言葉。

6.
「私は頑張っている。頑張っていない人を支える必要はない」という免罪符に使われる言葉。

7.
相手のやむにやまれぬ事情を考慮することなく、「ルールですから」の一言で一刀両断するときに便利な言葉。

 

「自己責任」という言葉が語られるときの背景

 

「自己責任」という言葉が語られるときの背景を想像しました。

 

1.
皆で問題に向き合い改善策を考えればよいのに、問題を個人の責任に閉じ込めて見て見ぬふりをする。

2.
『出る杭は打たれる』なることわざが示すように、
みんな一緒であることを強要し、あるいは今までと同じやり方を強要する。

3.
管理責任がある組織が責任を逃れたいがために、または組織の構成員がサボタージュしたいがために、個人を悪者にしておく。

4.
個人をスケープゴートにすることによって、政府批判の世論をかわそうとする。

5.
「他人に迷惑をかけてはいけない」というお題目に固執する。
「迷惑をかけざるを得ない状況」を考慮せず、「村八分」に追い込む。

6.
自分を責められない領域に置き、すなわち安全地帯に身を置きながら、人を批判する。

 

こうやって羅列してみますと、自分のことを書いている気がします。

私も時として「自己責任」という言葉を使うことがありますので。

 

「責任を取る」とは、「リスクを承知で行動したならば、悪い結果となったとしても、他人や社会を攻めずに、自分で責任を負う」ということです。
この意味では、「責任」は社会秩序を守るための大原則ですね。

しかし、私が気になりますのは、「責任」という言葉に「自己」という言葉をあえて付け加えることによって、本来の「責任」とは異なった意味付けをすることです。

「自己責任」という言葉で個人を責めることによって、ある意味ではストレスの解消になっているのかもしれません。

古来、言葉には力があります。
「自己責任」という言霊に惑わされて、本来の問題点が見えなくなっていること、見ようとしなくなっていることを危惧します。

 

 

「自己責任」の正体とは?


日々の生活において「世間体」を気にして、自分の本心を語らずに人と同じように振る舞うことも多いです。

しかし、我慢が積み重なり、いつの間にか妬み(ねたみ)を抱えています。

その妬みをそのまま発散させると、「悪い人」「我慢が足りない人」として周囲から煙たがられてしまいます。
これは困りますね。

そこで便利な言葉が「自己責任」です。
周囲から煙たがられずに妬みを発散するために「自己責任」という言葉を振りかざすこと、それが「自己責任論」の正体だと考えます。

いわゆる「村八分」にするための方便が「自己責任論」です。

「自分は周囲に気を配り、場の空気を読んで真面目にやってきた。
こんなに努力しているのに、誰からも認めらない。
全く報われていないじゃないか」

こんな不満と悔しさを秘めている人が、誰かを責めることによって自分を納得させているのではないでしょうか。

ある意味ではもっともな心理なのかもしれません。

 

「自己責任論」を利用する人々がいます。

 

 

高度経済成長のころは、お互い様という感覚が残っていたと思います。
色んな事情によって社会からこぼれ落ちる人々を助ける風習が残っていました。
その余裕が社会にあったのかもしれません。

しかし、今の時代はどうでしょうか?
考えてみますに、次のような背景が社会にあるように思います。

・高度経済成長期、さらにバブルが終わり、ちょうど経済を立て直そうとしている時期にリーマンショックがやってきて、今は低金利とデフレの経済状況です。

・グローバル化・IT化(さらにはAI化)という専門用語が日常用語のように使われています。

・「民主主義」「自由・平等・友愛」「国際主義」が意味するところが、なし崩し的に変容しつつあります。

・各家庭の相対的な所得格差が広がってきました。

・中東情勢・東アジア情勢が混迷を極める中、特にアメリカ合衆国とEU各国において過度の民族主義に根を持つ孤立主義が首をもたげてきました。

・ネットの普及によって、マスコミ報道・政府発表の信頼性が損なわれています。

このような背景ですので、何を指針とし何を目標として生きていけばよいかが分かりにくい時代です。

人を責めることによって自分の正当性を確保し安心したがる癖が人には備わっています。
この正当性確保の一つが「自己責任論」を盾にすることです。

実に不安で窮屈な時代ですね。

 

こんな時、私はこんなことを考えるようにしています。

「ある言葉が流行する裏には必ず、その世相を利用して得をする人々がいる」ということです。

得をする人々とは、組織が持っている権力を利用して「自己責任論」を企業と個人に押し付ける勢力のことです。

企業に対しては、許認可を握る官僚制度です。
個人に対しては、マスコミを活用する政府です。

便利なことに、日本には「村八分」に代表される同調圧力が厳しかった監視社会の風土が残っています。
助け合い文化は地域と組織が存続するためには大切なことですが、その美名のもとに是非を議論することなく集団から排除されてきた人々が昔も今もいます。

「自己責任」なる言葉を誰かが使うとき、誰が得をするかを考えたいものです。

 

今までの投稿一覧

 

1.トリクルダウン

2.高給取りのサラリーマンよ、ビールを飲んでください!

3.ピノチェト政権

4.1000兆円の政府による借金

5.「国の借金」で検索しました。

6.米朝会談で経済的に得をするのは?

7.IR整備法案が通ると誰が儲かるか?

8.高校生甲子園大会における二枚舌

9.「自己責任論」の正体

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です