政治

目次

1.「新自由主義」とは政治用語?

・レーガンは何者だったのか?
・レーガンの官僚統制
・紅茶を海に投げ捨てた日から独立まで

 

 

1.「新自由主義」とは政治用語?

 

新自由主義は、何の領域を指す言葉なのか?
分からなくなることがある。

「ルーズベルトがニューディール政策によってアメリカに栄華を導いた」と同じ文脈で「レーガンが新自由主義によって双子の赤字対策に乗り出した」と読めば、経済の領域の言葉のようではある。

しかし、「自国の官僚を支配し、他国を支配する主義」と考えるならば、経済用語というよりも政治用語と言えるのではないだろうか。

この疑問に私なりに回答が欲しく、まずはレーガンについて考えたい。

 

レーガンは何者だったか?

 

 

さて、レーガンは経済分野の専門家だったか?
まさか。
日本との貿易摩擦をレーガンが是正したのは、経済政策が正しかったわけではない。
そもそも経済政策が存在したのかどうかすら怪しい。
レーガノミクスでは、財政・貿易ともに双子の赤字が解消できなかったことがそれを照明している。

彼特有の力の脅しとアメリカに追従した中曽根の要望に従って、日本の経済団体が身を引いたことが貿易摩擦解消の理由だった。
プラザ合意を得たことも幸いした。
ならば、レーガンが信奉した新自由主義とは、彼の政治手法・政治姿勢であったのではなかろうか。

政治手法・政治姿勢は政策を達成するための手段に過ぎない。
しかしながら、政治家の人となりが政策よりも手法と姿勢に表れることが多い。

レーガンの官僚統制

 

大統領と言えども、議会・官僚・圧力団体の協力無くしては政策決定はできない。
彼らへの妥協の連続に虚しさと孤立感を持つことがあると聞く。

ここでは、レーガン大統領がいかに官僚制度と付き合ってきたかを書く。

幸い、分かりよい論文が手元にある。
『米大統領と官僚機構-官僚統制の限界-』。
浅川公紀(あさかわこうき)筑波学院大学名誉教授。
「武蔵野大学政治経済研究所年報15」2017年10月31日発行。PP125-143。

論文によると、レーガンの手法は次のとおりである。
(改行・項目分け・太字は私による)

1.
レーガンは政権移行期間に議会からの 200 万ドルと民間からの 100 万ドルをかけ、レーガン支持者から構成された 100 近い作業部会を組織して、各々の省庁を分析し、閣僚などの人選をそれまでのいかなる大統領よりも慎重に行った。

2.
レーガンは省の副長官、次官レベルの人選でも閣僚にレーガンに投票した共和党保守という基準と指針を示し、中心的に関与した。
候補者は大統領の国内政策顧問、政治補佐官、ホワイトハウス首席法律顧問、議会連絡担当などにより何重にも資格や能力、思想的純粋性がチェックされた。
さらに、ジェームズ・ベーカー、エドウィン・ミーズ、マイケル・ディーバーという 3 人のトップ大統領補佐官、大統領自身により最終チェックが行われた。
この結果、レーガン政権の閣僚、次官級レベルは「異例なほどの思想的一貫性」を持つことになった。

3.
レーガンは、キャリア官僚の縮小を目指し、就任とともに連邦政府職員の新規雇用凍結の大統領令に署名し、予算削減、国内プログラム削減、米大統領と官僚機構官僚の自主的退官を通じて、官僚機関の縮小を進めた。
レーガン就任の1981 年から 1983 年までの間に、国内政策担当の省庁でキャリア官僚の数が 9 万 2000 人削減された。
変革の対象になった省庁でキャリア官僚の削減が顕著だったが、同時にこれらの省庁で最も政治指名の高官が増やされた。

4.
また規制官庁での人員削減が著しく、規制緩和が促進された。
レーガンは就任とともに、新規の連邦政府規制の 60 日間凍結を命令し、将来の規制導入も減らしていった。
レーガンはさらに OMB に省庁の規制の影響を審査させ、1983 年 6 月末まで OMB は 6700 の規制を審査し、9 つに 1つの規制が修正または却下された。
さらにレーガンは、1978 年公務員改革法を最大限活用して、大統領の政策に不満を持つ上級キャリア官僚を1982 年には 1226 人、83 年には 1100 人、人事異動した。
またレーガンは、昇給につながる官僚の働きぶりの評価で、大統領の政策目標を推進するうえでの実績を重視した。

5.
レーガンは前任者に比べ、官僚機関統制では最も成果を上げたが、議会、利益団体、官僚からの批判、指名した次官級の能力、経験不足のゆえに、当初願ったほど官僚機関の統制は達成できなかった。
ただ、就任前からの官僚機関統制のための準備、省庁の状態の事前調査、次官級の指名、指名された人材への大統領政策目標に関する事前情報提供などは、大統領の官僚機関統制で効果があるものとして、将来の大統領にとっても参考に
なるものである。

上記5点をまとめると、レーガンの官僚機構対策は次の3点に尽きる。

1.
自分と思想的に共通する閣僚・次官級を慎重に選んだ。

2.
キャリア官僚の員数を大量に削減し、自らの政策目標を推進した実績を基に官僚を評価した。

3.
規制官庁の人員削減を著しくし、その結果規制緩和が促進された。

ただし、5にあるように、「議会、利益団体、官僚からの批判、指名した次官級の能力、経験不足のゆえに、当初願ったほど官僚機関の統制は達成できなかった」。

 

「新自由主義」推進の過程には、議会・利益団体・官僚との権力争いが常に伴うことが分る。
経済政策だけが独自に存在することはなく、人事と権限と表裏一体である。
「新自由主義」とは官僚統治・政権運営の手法が産み出すものである。

この意味で、「新自由主義」とは「政治用語」とも言える。

さて、レーガンを生んだアメリカ合衆国がイギリスから独立した端緒を振り返りたい。

紅茶を海に投げ捨てた日から独立まで

 


(画像:ウィキペディアより)

 

ボストン茶会事件からパリ講和条約まで10年。
(アフガニスタン紛争より短い!)

砂糖法、印紙法。
13植民地の怒りは、イギリス本土が行う徴税が原因であった。

自由を脅かす「本国への怒り」が基になってアメリカは独立したのだ。
アメリカにおける、リバタリアニズムと新自由主義が合体する素地の起源と言える。

新自由主義は国家が個人にできるだけ関与しないという意味での経済領域における自由主義ではあるが、歴史的には政治と思想の領域と区別できない由縁である。